Q 10-2:生徒のどのような様子を見た時に喜びを感じますか?

学校からの回答


学校生活(学習、行事、クラブ活動など)に熱心に取り組み夢中になっている姿を見た時や卒業後に学校を訪れ近況などの報告を受け、成長した姿を見たときに思うことです。



卒業後の立派な姿を見た時です。
在学中、指導に困った生徒ほど、卒業後5年10年たった後に一人の大人として成長した姿を見たとき、心から感動をします。そうした姿を見るたびに、今目の前にいる生徒にしっかりと向き合って、粘り強く見守っていこうと思います。


卒業生が久々に来校し「あの時先生に注意されたことが大人になってようやく分かった」というように、時間がかかったとしてもこちらの思いが通じたときに教師冥利に尽きます。

行事でも学習でも受験でも、日ごろの努力が実り達成感を覚えたり共有したりしている時
卒業してからは、専門分野での活躍の報告や、人生の節目に立ち会わせてもらっている時
教育は時間がかかることを実感しながら、その生徒の人生の一部となりえたことへ喜びを感じます。

自分からチャレンジする姿勢、人に感謝するとき、卒業式で感極まっている姿を見たとき。





体育祭(高3女子集団演技)




高校卒業式

生徒が自らの目標を達成した時です。


各種行事に対して、主体的に協働する様子を見る時や、係りあう中で周囲への心配りをした言動や行動をみる時。


卒業後も多くの卒業生が学校に遊びに来てくれます。その際、「就職した」「結婚する」などの報告をもらうことも多いのですが、そのような卒業生の立派に自立した姿を見た時でしょうか。

卒業式で保護者から「うちの娘は共立に入学して元気になりました」という言葉を頂くことがあります。本校に入学したことで、いきいきとした毎日になったとしたらこの上ない喜びです。


卒業式が教師冥利につきる瞬間ですが、私達教員は、日常生活で生徒の小さな成長を感じる瞬間に喜びを感じます。それは、毎日多くの時間を学校で共に生活する中でしか感じ取ることのできないことです。生徒の表情や行動を身近に感じ、少しの変化も感じとることのできる教員でありたいと光英VERITASの教員団は思っています。


答えが一つに定まらない人生の難題に対して、生徒自身が考え抜いて自分なりの結論を出し、進み始めたのを見た時、とても頼もしく教師冥利に尽きると感じます


あくまでも私見ですが、在校生の間,限りなくいろんなチャレンジをした上で”やりたいこと”を見つけた!という瞬間に立ち会えた時でしょうか。卒業後、生徒自身が見つけたやりたいことが変わっていることは大いにありうるでしょうが、一度やってみたからこそ「やはり違った」という考えに至っているのであれば、一度でも「やりたい!」と強く心を揺さぶられただけの価値があると考えるからです。


昨日出来なかった事が出来る様になった時は勿論のこと、自分の目標や夢を語り始めた時です。

淑徳巣鴨の「気づきの教育」の中で生徒たちが主体性を持って取り組み、私たち大人の想像を超えてくるような行動、成長を見せてくれるときです。


学校行事や部活動において、生徒の笑顔や涙を見た時です。



自分で決めた目標にチャレンジし,悩みながらもそれを達成して,最高の笑顔を見せてくれたときです。


自分たちで自立して行動できたときです。
また、卒業生として戻ってきたときに、今自分がしていることを楽しそうに話してくれたり、その経験を後輩たちに伝えようとしてくれることです。

生徒がにこやかに下校するとき・・・いい一日だったんだなぁとホッコリします。
その6年間の積み重ねの下校が「卒業」の日・・・ひとつひとつの仕草に「すてきな大人になった」と感動します。

勉強でも、それ以外の学内活動でも、意欲をもって本気で取り組んでくれたとき、そしてそこに周囲に対して感謝の気持ちを表現しているのを見かけたときに感動を覚えます。
校内のスポーツ大会に勝つために本気で練習をして教員にアドバイスを求め、そして全力で戦って行事を終えた後、生徒一同がお世話になった先生一人一人にお礼の言葉を伝えて回っている様子に感動しました。

・生徒達が教員をこえて成長していくこと
・社会人顔負けのビッグプロジェクトを立ち上げて成功している、など

毎年100%に近い生徒が「セシリアで過ごして良かった」との感想を持って卒業していきますが、その卒業生のメッセージを聞いたとき。


本校の生徒は人懐こく、優しい生徒が多いですが、入学前の段階では自信をあまり持てていなく、自信無さを気にしていることが多いように感じます。そういった生徒たちが自信をもって目標を見つけて進路を決めていく過程を見ていると嬉しくなります。


自分たちが学習した内容から、他者の助けとなるような活動を始めようとしたときです。

実際、ガーナの児童労働の問題を学習した生徒がフェアトレード商品の販売を、LGBTQについて学習した生徒がレインボーグッズの作成を、児童虐待について聞いた生徒がオレンジリボン運動を始めるなど、多種多様な他者のための活動が始められています。以上の活動はここ数年で始まったことですが、捜真では40年以上前からこのような風土があり、そのころ始められた活動の中で今も続いているものも複数あります。

このような生徒たちの活動を誇りに思いますし、教師冥利に尽きるとも感じます。




レインボーグッズの作成




レインボーグッズの作成2


いかなる場面でも、玉川っ子としての振る舞いをしてくれた時に、喜びを感じます。社会に出た時にも、組織や立場に関わらず、いつでも、どこでも、誰に対しても、玉川っ子としての振る舞いをしてもらいたいと願っています。



教員が口を出さなくても、生徒たちが主体的、積極的、意欲的にさまざまな活動に取り組んでいる姿を見ると、喜びを感じます。


生徒が自ら考えて答えを導き出した時や、立派に成長して卒業してゆく姿を見たときに共に過ごした日々が生徒の成長に役立ったと実感します。


卒業を迎えたときです。3年間の学校生活には様々なことがあります。毎日の学習活動や部活動、体育祭、文化祭、修学旅行などの学校行事。それらは決して楽しいことばかりではなく、困難なこともたくさんあります。そんなとき生徒と共に取り組み、悩み、乗り越えてきた日々が走馬灯のように頭をよぎります。そして3年間の学校生活に、共に過ごした友に、私たち教師に、感謝の気持ちを持って巣立っていく、大きく成長した生徒の姿を見ると、この上ない喜びを感じます。


素直な生徒が多いので、教科横断型授業などを行うと、楽しそうに学びに取り組み、多くのことを吸収してくれる。

「生徒の笑顔」これに尽きます。学校生活で「楽しい!」と感じている時、生徒は心の底から喜びを表現し、はじけるような笑顔を見せてくれます。特に授業中に「わかった!」という感動をしている時の表情が一番好きです。
また、生徒がかつての自分の行動を言葉にして語っている時。「あの時はこうでした。今はこう思います」と、自分を客観視できている姿を見た時に、成長を実感して嬉しくなります。

・何事にも一生懸命に取り組み、力を出し切ったときに見せてくれる自信がついた顔、達成感を味わったときに見せてくれる笑顔を見たときです。
・分からなかった問題が解けて、感謝の言葉を伝えてくれた時、「分かった」、「先生のお陰で分かるようになった」と感謝の気持ちを伝えてくれたときです。
・掃除当番や、日直の仕事、目立たない仕事にもコツコツ真面目に取り組んでいる姿を見たときです。

日々の成長を見られるときはもちろんですが、卒業生として母校を訪ねてくれた時に、社会人として立派に生活している様子を聞くときではないでしょうか。


先日、生徒会から「七夕の笹を飾りたい」との発案があり、全校で実施しました。そこに生徒たちが寄せてくれた短冊を読んでみたら、友達のこと・家族のこと、世界のこと・日本のことなど、他者が良い状態になることを願う内容そういうことを書いていた生徒が極めて多かったのです。それを見て校長をはじめ多くの先生が感銘を受けていました。

本校では、自分の幸せとは周りの人がよい状態であること、それが巡り巡って自分の幸せになるということを常に言葉にし、生徒に伝えています。その言葉が生徒たちに届いているのだと感じて嬉しくなった瞬間でした。


さまざまな活動や行事で、自分で考えて行動している様子を見るとき。とくに中等部1期生有志が生徒会立ち上げを発案し、全校生徒に呼びかけてゼロから組織を作ったこと。他校の生徒会長を訪問してアドバスを求めたり、話し合いを重ねて仕上げた構想を職員会議の場で発表したりと、素晴らしい行動力を見せてくれました。

できなかったことできるようになった時や、見えなかったものが見えるようになった時。「自分(教師)を超えたな」と思える瞬間です。

社会で活躍する多くの卒業生や大学生が、中高での「書く」「表現する」授業が(当時はきつかったけれど)今とても役に立っており、今の自分を作っていると言ってくれた時。私自身としては、つい先日の卒業式後、ある生徒から「先生に会えて良かった」といわれた時、無上の喜びを感じました。

・在校生→自分の授業を受けて教員志望を決めたという手紙を年度末に頂戴したこと。
・卒業生→一緒に飲めること


子どもは大人以上にやることが多い時代となっています。
恩返しは当たり前ですが、日出学園で学んだことを「恩送り」している生徒を見ると涙が出てきます。
他者のために動いている姿を見ることが私たちにとっては恩返しとなっています。


この「喜び」というのは教員によって様々ですが、担当している教科やクラブ活動、そのほか様々な活動において興味・関心を広げてくれた瞬間ではないでしょうか。富士見には多くのTRYする場面があります。そうした場面であきらめることなく、自分に向き合い、人に向き合い、課題に向き合い、一歩一歩進もうとしている姿、また成長の様子に触れられるというのが教師冥利に尽きる喜びだと考えます。


普段の何気ない生活の中で、答えのない問に対してしっかりと自分の考えを発言をする生徒と出会えた時。
このような生徒が将来社会の中で中核をなす人物になるのではないかと思いわくわくします。

また中高6年間を通して中1の時に幼かった生徒が立派に成長して卒業していく様子を見た時。
6年間がいかにあっという間であったかを自覚します。
















卒業してからも学校に遊びに来てくれることが多い。本校に限らず、私立の特徴のひとつです。

国語科T教諭より
「私は前に出るタイプではない」と遠慮がちに過ごしていた生徒が、自分の後押しをきっかけに自信を得て自らチャレンジするようになった様子を見ると、嬉しい気持ちになります。また、卒業生が「今の自分があるのは聖園の6年間があったからです!」と訪ねて来てくれるのは、教師冥利に尽きる瞬間です。
保健体育科A教諭より
「先生の言葉が支えとなった」「先生の姿を見て教員を目指した」という言葉をもらった時や、自分を超えた生徒の成長を感じた時などに教師冥利に尽きるという喜びを感じます。

卒業生が自分の現状ついて、自信をもって熱く語ってくれるとき。

周囲の大人の期待以上の成長を見せてくれる時です。6年間、もしくは3年間で、こんなに大きく成長したんだな、と感じたときに、教師冥利に尽きるなと喜びを感じます。

楽しいことや悲しいことがある時、悩んでいる時、新たな一歩を踏み出した時・・・様々な節目の時に卒業生が顔を見せに来てくれることです。


周囲への思いやりや配慮を持ちながらも、凜とした軸が育っているように感じたときです。