この記事は、文化放送PodcastQRで毎週月曜日に配信されている「【中学受験】おおたとしまさの『校長室訪問』」の内容を、確認クイズ付きでWeb再録したものです。
配信内容を書き起こすとともに、その一部を「穴埋め(ブルダウン式の三択)」クイズにしております。
番組を聴きながら穴埋めを完成させて、楽しみながら学校への理解を深めていただければ幸いです。
今回お届けするのは、
巣鴨中学校・巣鴨高等学校(東京都 豊島区)の校長である堀内 不二夫先生のお話です。
番組の聴取は下記より↓↓
【大切なお願い】
※このWeb再録は、「【中学受験】おおたとしまさの『校長室訪問』」をより楽しんでいただくための取り組みとして、文化放送様の許諾をいただいて実施している特別企画です。
クイズを楽しんでいただいたあとは、ぜひページ末尾のアンケートフォームから、番組のご感想やリクエストなどをお送りください。
この企画を続けていくことができるかは皆さまのお力にかかっております。ご協力、どうぞお願いいたします!
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Topics1:学校の概要
硬教育(努力主義)の意味するところは…
おおたとしまさ氏(以下、おおた):
それでは巣鴨中学校・巣鴨高等学校の校長、堀内 不二夫先生にお話をうかがっていきましょう。堀内先生、よろしくお願いします。
巣鴨中学校・巣鴨高等学校
堀内校長先生(以下、堀内):
よろしくお願いします。
おおた:
今回は巣鴨中高さんについてのお話をうかがっていこうと思うのですが、まずは学校のロケーション、最寄りの駅ですとか周りの環境みたいなところを教えていただければと思うのですがいかがでしょうか。
堀内:
場所はちょうどJRの池袋と大塚の中間ぐらいに位置している感じになりまして、大塚、池袋、それから板橋という駅がありますけれども、この3点で結んだ三角形のちょうど真ん中あたりにうちが位置しています。
大きなターミナルが池袋駅になりますので、地下鉄あるいは私鉄の池袋が入っていますし、かなり西の方からでも湘南ライナーでもまっすぐ来ますし、交通は非常に便利だと思います。
おおた:
ほんとですよね。周りの環境、池袋というとすごくごちゃごちゃした感じがしますけれども、そこからはちょっと離れているんですよね。
堀内:
そうですね。池袋からはだいたい歩いて15分ぐらいだと思うんです。途中にサンシャインという大きなビルがあります。あのあたりがこのあたりで目立つものかと思われます。あとはおばあさんの原宿と言われる(巣鴨の)とげぬき地蔵さんも歩いて行ける範囲内にありますし、護国寺さんも歩いていけると思います。
ここは(東京)23区の中では標高がちょうど学校の所で三十数メートルあるんですよ。わりあい高いんですね。
おおた:
そうですよね、ちょっと坂を上ったところに学校がありますものね。
堀内:
そういった意味で、本来は見晴らしがいいはずなんですけど。私が生徒だった頃は富士山が見えたんですが、今は周りにマンションその他が建ちましたから富士山は見られなくなりました。ですけれども、都心にしては静かだというふうにおいでになった方からはよく言われます。
おおた:
そうですよね。池袋と大塚の間と聞くとごちゃごちゃしているイメージがありますが、でも学校の周りはすごく静かな落ち着いた環境ですよね。
おおた:
そういった場所にある巣鴨中高さんですが、学校の特長というと、色々あるとは思いますが、先生、どのへんが巣鴨学園の特長だというふうに考えていらっしゃいますか?
堀内:
色々な角度があると思います。行事とか。やはり利便的なものからいけば、うちが「硬(こう)教育」というものを創立以来標ぼうして今日に至っているというところだと思います。(中略)これが「硬い」という字を使うものですから、ちょっと誤解を招きかねないんですよね。
おおた:
ええ。初めて聞くと「えっ」って身構えてしまう感じがしますよね。
堀内:
そうなんです。男の子で「中学校は剣道が必修だよ」という話を聞くと、え、なんだって話になるんですけれども。
意味しているのは「努力主義」ということなんですよね。努力しろということなんです。創立者ははっきり「努力しなければ自分でやらなければ学問は身に付かない」というわけです。その、自分でやって身につけていく、そのことを「硬教育」というふうに名を付けたんです。
学校の先生なり何なりがなんでも教えてあげるというやり方もあるわけですけれども、それを「軟教育」という言い方をアメリカからの言葉で使ったそうなんですが、創立者はそれを否定しているわけではないんですよ。中等教育というのは幅が広いですから、中1から高3まであるわけですから、そうした中でいつまでもそれでいいのかと。学年が上がるにしたがって自分で努力してつかむという部分が増えて行って当然だろうと。そのことを「硬教育」という呼び方をしたんです。
ですがなかなか、硬教育は誤解を招きかねないですから、最近は「努力主義」だという言い方をしているんですが。
おおた:
ちょっと言い換えがあるわけですね。ちょうど、あとで歴史の話もうかがっていこうと思うのですが、大正自由教育とかそういったものが盛んになった時代と重なるじゃないですか、この巣鴨学園の創立の時代は。
堀内:
そうですね。
おおた:
これは日本だけでなく、世界的な新教育のムーブメントがあるなかで、おそらくアメリカでは軟教育・ソフトエデュケーションという概念が生まれてきて。ちょっと極端な言い方をすればソフトエデュケーションというのは、要は、先生のほうでかみ砕いて飲み込みやすいようにしてあげて、生徒に提供する(ようなやり方)。
堀内:
ええ。
おおた:
それに対して、いやいやもう少し硬めのものを自分でバリバリとかみ砕いて咀嚼していく、そういう、自分で自らを鍛えていく努力をするということも必要なんじゃないかということを創立者の先生はお考えになったということですよね。
堀内:
はい。これは言い方を変えればですね、視点がどこにあるかというと、学習者に視点があるわけです。勉強するほうに視点があって。学習者の状態を見ながら指導していく。「啓発」という言葉がありますけれども、まさにあれと同じなんですよね。啓発というのは弟子の進捗状態に応じて指導者が質問を発したりヒントを与えたりということをする、それが啓発で、それを日々やってあげるわけですが、それと基本的には考え方は同じだと言っていいだろうと思います。
おおた:
学習者に視点があって、つまり教育者の側は学習者のことをよく見て、タイミングを見きわめてかかわりを持つということでもあるわけですよね。
堀内:
はい。
自分の船で漕ぎ出す勇気と力を持たせたい
堀内:
エデュケーションという言葉が日本に入ってきた時に、どう訳すかという話があったそうですね。これは聞いた話ですが。(中略)
訳の候補は3つあったそうです。ひとつは「教育」、ひとつは「教化」もうひとつは「啓発」なんですね。教育が生き残ったんですけれども、啓発と訳したのはうちの創立者ではなくて残念ながら福沢諭吉なんですが、もし「啓発」って訳していたら、教育の在り方は少し変わったかなというふうに今になって思いますね。
おおた:
本当ですよね。
堀内:
視点をどこに持つかは非常に大事かなと。私は努力主義だという言い方をしているのですが、中等教育ですから、中等教育をどうとらえていくかというのはおそらくその学校の在り方に非常に大きく影響するだろうと思うのです。
初等(教育)と高等(教育)の中間地点でありますから、まさに通過点という見方もできるんですよ。(でも)私はそれでいいとは思っていなくてですね、この6年間は人生の土台を作る時期なんだと。そこでどれだけのものを自分の中に入れるか、もちろんここで全部が揃うなんて言いませんけれども、ここでどれだけのものを自分の中にいれるか、それが将来花開く土台、種になっていくだろうと。砂上の楼閣は建たないわけですから、うちの子は砂上の楼閣にしたくないんですよね。
このところ説明会で言っているのは、
- 知性
- 確固たる意志
- 説明力
- 肉体的持久力
- 精神力
この5つにプラスして
- 共感力
が6つ目。これをつけろと。
その全部がきちんと揃うとは言いません、そんな生意気なことは言わないです。わずか6年しかここにいないんですから。ですけれども、その土台の土台ぐらいは入れられるだろうと。その上で、うちの子たちは好きなところへ羽ばたいてもらいたい。子供の将来は前途洋々と言いますけれども、前途洋々は海に例えるわけですよね。もちろん前途洋々なのですが、浜辺に立って海を見ているだけの子に、うちの子はしたくない。そうじゃなくて、どんなに小さくてもいいですから、自分の船を。
おおた:
ああ、いいですね。
堀内:
自分の船で漕ぎ出す勇気と力を持たせたいんです。大海に乗り出す者だけが大海につくわけです、その勇気と力をうちの子には持たせたいんです。
おおた:
ああ、いいですね。勇気と力。
堀内:
そのあたりがうちのベースになっていくんじゃないかなと思います。
Topics2:沿革
「でもまだ学校はできないんです。周りに人家がないですから」
おおた:
そういうすごく、今、先生のお話、学校の理念・教育に対する考え方、教育というよりはそもそも啓発であるという思想が伝わってきたわけなんですけれども、このような学校の姿がどういうふうに作られてきたのか、どういった創立者がどういう想いで作った学校なのか、そしてどんな歴史を経てきたのかというところをうかがっていきたいなと。
堀内:
うちの創立者は遠藤隆吉(えんどう・りゅうきち)という文学博士なんですけれども、明治の人でありまして、前橋の生まれなんです。あの頃は、ご承知のように明治の御一新で士族は没落していくわけですよね。遠藤家も御多聞にもれず没落していって、屋根が破れて雨が漏るというような状態にまでなってしまうのです。ところが、幕府の人間だったわけですから、明治政府に勤めないんですよね。
おおた:
(笑)反骨精神ですね。
堀内:
粋がって屋敷の中でほそぼそと野菜か何かを作って暮らしたんです。遠藤先生自身がはっきり「困窮した」と書いておられますので、本当にひどかったみたいです。そんな状態にありながら、お父上は遠藤先生に「着物なんてものはお金を出せばいつだって買えるんだ。しかし学問や修養というのもは多年努めなければものにならないんだ。だから勉強をするんだ」というようなことを言われるわけです。そしてご母堂のほうは「お前は侍(さむらい)の子だ。決して卑怯未練な振る舞いはするな」と。非常に厳しい生活の中でありながら、きちっとした精神を持たせようとするんですね。
遠藤先生はそれにしたがって育っていくんですけれども、非常に利発な人だったようでありまして、勉強をしたいんですね。ところが本が買えないんですよ。そんな余裕はまったくなかったみたいで。近くに漢学者がいたそうで、その漢学者のところに行って、本を借りて写すんです。全部写すんです。これがすごくて。そして8歳ですから今でいう小学校2年生ぐらいの時に大学を読み終えたというのですからこれはすごい。
おおた:
考えられないですよね。
堀内:
そこまでやったんです。小学校の時に非常に優秀で文部省から表彰をされて、そして中学校がやっとできたわけですね、前橋の中学に入るんですが、これがまた評判の秀才でした。東京に出たい、もっと勉強をしたいということになるわけです。ところが行かせるお金がないんですね。そしたらお金はいらない、寮費と本を買うお金、これだけあればいい、遊ぶお金は一切いらないといって、出してくれというので、出してもらうわけですね。
それで一高に行くんですね。ところがさすがにお金が足りなくて、だいぶ苦労したそうです。ご実家のほうもそんなに余裕がないものですから、ご実家はあの頃でいう砲兵隊長みたいな役職だったそうですが、家の中に砲術の本がいっぱいあり、侍ですから刀とか槍とかいっぱいあったそうですが、ある時、実家に帰ってみたらそういうものが全部なくなっていたというんですね。ですから困窮している中でも、昔で言えば武士の魂だったんでしょうがそれを全部売って隆吉先生の学費に充てたということのようです。
おおた:
前橋のお侍さんだったわけですが、その当時最先端であった砲術も学んでいらっしゃった。隆吉先生のお父様は。
堀内:
そうです。砲術の免許は江川太郎左衛門だったそうです。ですから本当に最先端、あの頃の最先端。
おおた:
そうですよね。そういう、やはりすごく学びの意識の高い、お侍さんとはいえ新しいことを学んでいこうという意識が高いお父様に、貧しくても誇り高く育てられたという、そういう先生だったわけですよね。
堀内:
そう思います。それで東大に入って(当時は帝大)に入って、優秀な成績で卒業するんですね。あの頃は卒業証書に教えた教授は全部自分でサインをするんですが、その中に小泉八雲もサインをしています。
おおた:
ラフカディオ・ハーン。
堀内:
ラフカディオ・ハーン。英語の先生で。あとは井上哲次郎とかそうそうたるメンバーがサインしていますが。そして東大を終えて高等師範に教員として行くのですが、そちらも専任は嫌だと。普通は飛びつくと思うのですが、専任は嫌だと断って非常勤ならいいと。あり得ないですけど。最終目標は自分の学校を作りたい、「修道家」であるとずっと言い続けてきたので。
おおた:
しゅどうか。
堀内:
はい。道を修める、修道家。教育者にあらずとご自身はおっしゃっておられるのですが――これは大変な謙遜で明らかな教育者ですが――自分の学校を作るという目標があるから、専任は嫌だと全部断ったそうですが。それで勉強して本を書いて。最終的に、自分の学校を作りたいものですから、明治38年に今の学校のある土地を買いまして。その頃はまだこんな広い土地は買っていないのですが、買って移ってきまして。当時ここはまったくの野原で。雑木林で。
おおた:
原野を買ったみたいな感じですよね、きっとね。
堀内:
ええ、そうです。隣の家ははるかかなたで。本当にすごいところだったみたいです。猟銃をぶっぱなしても誰も来なかったという話ですので。
おおた:
(笑)
堀内:
周りからは「遠藤君、なんで君はこんなところを」とだいぶ言われたようです。ところが遠藤先生は「東大のある本郷からここまで歩いて1時間20分だ。そうすると東京がどんどん発展していけば、東京の中心なんてどこになるかわからない。もしかしたらここが中心になるかもしれないぞ」と答えています。実際にこう発展してきたのですから、大変な慧眼だと思いますね。
おおた:
本当ですね。
堀内:
そこで一生懸命、自分の考えることを書いて出版していく。明治43年に本を出して自分の教育観を世に問うたわけです。でもまだ学校はできないんです。周りに人家がないですから(笑)。その頃まだ、創立者は都心から――あの頃の都心ですけど、都心から人力車でこっちへ通ってくるとまっくろになる。車夫はかなり荒っぽい人間がいたんだそうですが、それが途中でとめて、「旦那、車代はいらないからここで降りてくれ」と言ったそうですから(笑)。それぐらいひどいところだったみたいですよ。人がいなくて。
43年にそれを出して、これが結構評判をとるんですね。日本中から講演依頼が来るんです。日本中、実際に講演に歩いています。ただまだ人家はできないんですね。ところが大正10年ぐらいになって、学校から池袋方向に散歩をしたら人家(じんか)があったと。これは増えるなということで、じゃあ学校をつくろうと。それが旧制巣鴨中学校ですね、その翌年にここにつくって。それから高等学校をつくって…とだんだん広がって今日に至ると。
おおた:
ありがとうございます。先ほど学校の特長として「努力主義」というふうな言葉もありましたが、創立者の遠藤先生自身が本当に絵にかいたような努力の人だったわけですよね。
堀内:
そう思います。やはり人間というのは自分の経験というのでしょうか、自分の経験の外へ出ることが難しいのかなというふうに思うことがありますね。創立者の思想には自分が歩いてきた道がかなり影響していると思います。もちろんプラスの方にですが、影響していると思います。(中略)実際に教科書が買えなかったものですから、全部書いて写すというとんでもないことを。それが努力しなければだめなんだというご自身の思想にやがては結びついていったのかなと思いますね。
おおた:
その想いが今でも脈々とこの学園に受け継がれていらっしゃいますよね。
堀内:
そうあってほしいんですが、なかなか。
おおた:
いえいえ。自分の船で大海に。たくさんの生徒さんが毎年巣立っていると思います。
Topics3:保護者様へのアドバイス
努力とは「誰でもできることを、誰もできないレベルまで徹底する」こと
おおた:
そういった歴史背景をお持ちの巣鴨中高さんなんですけれども、この巣鴨流の教育のエッセンス、あるいは啓発のエッセンスをなにか一般の御家庭でも取り入れるヒントみたいな、視点みたいなものをいただければと思うのですが、いかがでしょうか。
堀内:
そうですね…ちょっと今はあまり使わない言葉かもしれませんが、論語の中に「今女画(いま、なんじはかぎれり)」 という言葉があるんですよ。
(中略)これは「なんじ」はさんずいがないとだめじゃないかと思われる方があるかと思うのですが、これは女だけで「なんじ」と読んでいいんですね。「今女画(いま、なんじはかぎれり)」とは、孔子が魯という国を追い出されて中国のまんなかあたり、中原(ちゅうげん)を半ばさまようというか逃げるというか、命まで狙われていて食べるものもない時代だったわけですよ。苦労をするわけですね。
弟子がもちろん付いてくるんですが、弟子の中のひとりが「先生のおっしゃることはわかるんだ、でも自分は力がないからできない」とこう言ったんだそうです。それに対して孔子が「力(ちから)足たらざる者ものは、中道(ちゅうどう)にして廃(はい)す。今(いま)女(なんじ)は画(かぎ)れり。」とこう言ったというんです。
力がないものはやるんだけれども力がないから最後までできないんだ。お前はやる前にはなからここまでって線を引いたろう、だからダメなんだという叱責と指導なんですよ。
今の子になかなかこんなことを言ってもなかなかわかってもらえないかもしれませんが、説明会で今日漢字を3つだけ覚えて帰れと言うことがあるんです。
おおた:
ああ、面白い。
堀内:
その時はこの3つだけを言いましてね。「今女画」これを机の前に書いて貼っておけと言いましてですね。要するに、自分で切っちゃだめなんだと。
おおた:
やる前から(1)という。
堀内:
(1)ということなんです。「力(ちから)足たらざる者ものは、中道(ちゅうどう)にして廃(はい)す」は本当にその通りで。「今(いま)女(なんじ)は画(かぎ)れり」なおで、自分で切っちゃだめなんです、自分でここまでと思った時にあと一歩。
それだけだと難しすぎるといけないので、簡単なところに戻しまして、子どもたち、だいたい受験生はそれぞれの家庭によって違うでしょうけど、今日は夜何時までと勉強時間が決まっていると思うんです。それが10時であろうが9時であろうが全然かまわないのですが、その時間まで一生懸命やって、そこに10分だけ追加しろと。10分でいい。その10分というのはもちろん集中した10分で、ただ10分を過ごせばいいんじゃないよ。10分だけ集中してやってごらん、10分集中できなかったら受験をやめろと。10分の集中ができない人間は受験生になれませんから。とにかく10分集中してやってごらんと。
これを毎日必ず。今日やめるとかそういうのはなしで必ずやるんだと。その代わり10分でいい。すると1年たったら何時間だと思う?60時間になるわけですよ。集中した60時間は、受験生が、6年生が最後の追い込みになった時にどれほどの意味を持つか。60時間をやればいいんですけど、それはすさまじい努力なんですよ。そんな努力を人間はできるわけがないので。でも、毎日毎日に分解すればたった10分のことなんです。誰でもできることなんです。
努力と言われるとものすごく重たい荷物を背中にどんとしょわされると思う人がいますが、そうじゃないんです。努力というのは「誰でもできることを、誰もできないレベルまで徹底する」ことなんだ。ただ、それだけのことなんだという話をする時があるんです。
わずかなところなんですけれども、そこをやるかやらないか、その結果が最後に大きなツケになってくるんだろうと思いますね。
受験生というのは、うちあたりを受ける子というのは「今日は疲れたなあ、明日2日間やればいいや」となった時にできるんです。3日分やればいいや、これができるんですよ。だからいけないって言うんです。それでできちゃうもんだからいけない。ところが4日、5日とたまっていった時に、最後になったらもうどうしようもない。お手上げになってしまうんです。
おおた:
どこかでオーバーフローしますよね。
堀内:
そうです。そうなる前にきちっとやっていれば、たったの10分の話なんです。そのあたりを少しでもわかってくれればいいなあと思うんですけどね。
おおた:
ありがとうございます。先を見通して少しずつ自分を律していくというそういう姿勢を貫徹するというお話ですね。
堀内:
それが大事なんだろうと思います。
おおた:
校長室訪問、今回は 巣鴨中学校・巣鴨高等学校の校長、堀内 不二夫先生にお話をうかがいました。堀内先生、ありがとうございました。
<確認クイズ>
(1)に当てはまる言葉は何でしょう?
今回の内容のご感想やコメントなど、ぜひお送りください。
(私たちが責任をもって文化放送さんにお届けします)
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