この記事は、文化放送PodcastQRで毎週月曜日に配信されている「【中学受験】おおたとしまさの『校長室訪問』」の内容を、確認クイズ付きでWeb再録したものです。
配信内容の主要部分を書き起こすとともに、その一部を「穴埋め(ブルダウン式の三択)」クイズにしております。
番組を聴きながら穴埋めを完成させて、楽しみながら学校への理解を深めていただければ幸いです。
今回お届けするのは、
豊島岡女子学園 中学校・高等学校(東京都豊島区)の校長である竹鼻志乃先生のお話(全4回)の第2回です。
※その他の回をお読みになる場合は、下記リンクをご利用ください。(配信後、順次追加していきます)
第1回 第3回 第4回
番組の聴取は下記より↓↓
【大切なお願い】
※このWeb再録は、「【中学受験】おおたとしまさの『校長室訪問』」をより楽しんでいただくための取り組みとして、文化放送様の許諾をいただいて実施している特別企画です。
クイズを楽しんでいただいたあとは、ぜひページ末尾のアンケートフォームから、番組のご感想やリクエストなどをお送りください。
この企画を続けていくことができるかは皆さまのお力にかかっております。ご協力、どうぞお願いいたします!
※本テキストの著作権は、株式会社文化放送に帰属します。本テキストの一部または全部を無断で複写・複製することは法律で禁じられております。
Topics1:創立者
普通の女性が始めた学校
おおたとしまさ氏(以下、おおた):
(前略)今回は対談の2回目ということで、学校の生い立ちや歩み、どんな理念を持った学校なのかというところをうかがっていきたいと思います。この豊島岡という学校は、どんな創立者がどんな問題意識で創立した学校なのかというところからうかがっていきたいのですが。
豊島岡女子学園 中学校・高等学校
竹鼻志乃 校長(以下、竹鼻):
本校の創立者は、河村ツネ先生という、普通の女性なのです。
この先生が2人の娘さんと一緒に創立した「女子裁縫専門学校」がスタートなのですが、かなり「(1)」学校のスタートだったと思います。
おおた:
(1)というのは…?
竹鼻:
明治25年に河村ツネ先生――もともと石川県のご出身なのですが、ご主人と一緒に東京に出てきてお仕事をしていらしたのですが、旦那さんがすぐに亡くなってしまって。未亡人になられたところに、石川県にいた娘2人が、子どもを連れて――旦那さんが2人とも早く亡くなってしまって未亡人になり、東京に来て。そこで、未亡人3人が集まって「どうしようか」ということで、手に職をつけようということで、お裁縫専門学校に2人が行き。そこで、お裁縫の技術で身を立てていこうとしていたところ、伝習所の先生が家で私塾を行っていてその私塾を旦那さんの転勤に伴い、譲り受けたいという相手がこの3人だったわけですね。わかりますか…?
おおた:
わかります。(創立者の河村ツネ先生は)もともとは石川県のご出身で、娘さんもおふたり。男のお子さんもいらっしゃいましたよね?
竹鼻:
はい。三男三女で。
おおた:
もともと、旦那さんがいわゆる下級武士的案な存在で、維新のごたごたの中で食うや食わずの状態になって東京に出てくるんですよね。もともとは、お裁縫学校で手に職をつけて何か縫い物をして、それを食い扶持にして…と思っていたところが、ひょんなことから学校を経営する側になってしまったというのが、この学校の始まりだったのですよね。
同じ時代に、女子教育がものすごくないがしろにされていることに不満を感じて「おかしいじゃないか」と思った方々が作った女子校もあったわけなのですが、ちょっとそれとはいきさつが違うという意味で「(1)」学校だったわけですよね。
竹鼻:
はい。
<確認クイズ>
(1)に当てはまる言葉は何でしょう?
豊島岡の過去を知るてがかりが少ない理由は
竹鼻:
その三代の時期がすごく長く続いたのですが、(その間、)いい教育をするのでどんどん生徒の数が増えていき、そのたびごとに学校を「(2)」しながら発展させていきました。当時の専門学校令や高等女学校令にあわせて校名も変更していきました。東京家政女学校、そして途中から牛込高等女学校も併設して。名前も場所もどんどん変化していくんですね。
おおた:
牛込高等女学校になったぐらいから、お裁縫だけではなく女子一般教育的なこともやりはじめているんですよね、確か。
竹鼻:
はい。ここは一時、併設の時期があって、その後、戦争で校舎がすべてなくなってしまい。
ですから、過去の歴史を物語るようなものが本校にはあまり残っていないんですよね。
過去を知ろうと思うと、かなり難しい…
おおた:
そうなんですね。わりと転々として、小さな私塾から始まっているから、形として残っているものはなかなか少ないと。
竹鼻:
そうなんです。臼井マサ先生が(河村先生の)娘さんで3人目の校長先生をなさったのですが、臼井先生のご子孫も今はいらっしゃらないので、お話を聞くこともかなわないんですね…
おおた:
でも、そういった普通の女性が始めた学校とおっしゃいますが、(だからこそ)無欲であったり、変な意味での教育へのこだわりのようなものがないので、きっと柔軟に生徒中心の教育を実直に行ってきて。それが良い評判を得て、生徒さんがどんどん増えていった。きっとそういうことなのではと思います。
<確認クイズ>
(2)に当てはまる言葉は何でしょう?
Topics2:教育理念
公募で校名が決まり、次に教育方針が決まった
おおた:
学校が大切にしている理念のようなものはございますでしょうか。
竹鼻:
昭和23年に学校を始めるにあたって――(それは)再出発なわけですよね。牛込高等女学校は(戦争で)燃えてしまったので。
そこで生徒に公募して、「豊島岡女子学園」という、土地柄にふさわしい名前をつけました。
(中略)教育方針としてどんなものがいいかと教員に投げかけたところ、全然何も返ってこないので(笑)、(当時の校長であった、医学博士の)二木謙三先生が3つ(の教育理念を)掲げられました。それが「道義実践」「(3)」「一能専念」、この3つです。
この3つというのはきっと、謙三先生の生き方そのものだと思うんです。人として正しいこと、謙虚に生きるということ。コツコツと研究者として努力なさってきましたから、努力の大切さ(を掲げられた)。そして「一能専念」というのは、研究者としてずっと身を立てていらしたので、君たちもそういう「一能」を持ちなさい、磨きなさいと。
おおた:
(中略)
この学校の生い立ちとしては、一番最初は、河村ツネ先生が無心の状態で立ち上げた学校があって。とにかく生徒中心に、おそらく学校ができてきたんだろうなと。そして、戦後、新しくなっていくところで、二木謙三先生がそういった新しい理念をわかりやすく3つ掲げて、それが現在の校風を形作る礎になっている、このように考えてよろしいでしょうか。
<確認クイズ>
(3)に当てはまる言葉は何でしょう?
聞き取り調査から始まった「運針」
おおた:
そして、その3つを掲げられたぐらいに、今の名物とされている「運針(うんしん)」も(中略)。
竹鼻:
昭和23年に――(なにしろ)歴史が何も残っていないので、牛込高等女学校や東京家政女学校の卒業生に話を聞いたところ、お裁縫学校ですから運針というのをやっていたと聞いて。「ああ、これだ」とピピっときて、これを毎日の日課の中に取り入れられるようにということで「(4)分間」「1メートルのさらしの布」というアイディアを思いついたんです。
おおた:
ご存じない方もいらっしゃると思うので、ちょっと説明を加えると、豊島岡では、朝、登校してきて、ホームルームの中で(4)分間、運針の時間があって。何をするかと言うと、1メートルの白いさらしの布に赤い糸を縫い付けていくんです。端っこまで縫ったらすっと糸を抜いて、また、時間のある限り縫っていく。これを完全な沈黙の中で行うわけですよね。
竹鼻:
そうなんです。それが、(3)の実践。これを身をもって学ぶんですね。
たった(4)分間でも、誰もがうまく縫えるようになります。
これは学校の「一能」に今はなっていますけれども、(生徒の皆さんも)一能を見つけてくださいね、というような意味合い(もあります)。
集中する、という意味合いですね。
<確認クイズ>
(4)に当てはまる言葉は何でしょう?
いつもはにぎやかな学校が静まり返る瞬間
おおた:
先生は以前、(運針のことを)「(4)分間の(5)」というふうにもおっしゃっていて。
その時だけは、本当に、学校全体がしーんと空気が静まり返るという。
いつもは元気な、がちゃがちゃとした学校なんですけれども(笑)。
竹鼻:
はい(笑)。
おおた:
あの(4)分間との対比が素晴らしいですよね。
<確認クイズ>
(5)に当てはまる言葉は何でしょう?
いかがでしたか?
豊島岡女子学園 中学校・高等学校の竹鼻志乃校長先生のお話・次回(第3回)配信分のテキストは こちら からご覧いただけます。
今回の内容のご感想やコメントなど、ぜひお送りください。
(私たちが責任をもって文化放送さんにお届けします)
こちらのフォームにご入力をお願いいたします↓↓